前田敦子 6年前は「凄く暗かった」 劇場支配人が回顧
スポニチアネックス 12月6日(火)11時37分配信
「前田は凄く暗かった」。戸賀崎氏は2005年10月のオーディションを思い返す。
「歌い終わった前田は暗かったが、質問されて最後にニコッと笑った顔が凄く可愛かった。その笑顔はみんなをキュンとさせるものだった。審査員の間で“暗いけれど最後の笑顔が凄かったね”という話になった。前田が通過した理由はそれだけだった」
06年4月の劇場公演で総合プロデューサーの秋元康氏(55)は前田のソロ歌唱がある曲「渚のCHERRY」を作った。劇場オープンから約4カ月たって客足も伸び始めていたが、メンバーが多いため「誰が誰だか分からない」との声が上がっており、観客の目を引く存在が必要だった。
芸能界を志す人なら誰でもスターに憧れるはずだ。AKB48の中にも、できるだけ目立ちたいと思うメンバーは少なくない。だが、前田は当初、自らのスター化計画に拒絶反応を示した。
「もともと前田はソロで歌いたいと思ってなかった。人と違うことをするのを怖がるタイプだった。“渚のCHERRY”は一人だけ黄色い衣装を着て歌うが“なぜ私が一人で歌わなくちゃいけないの!?”とレコーディングスタジオに閉じこもってしまうほどだった」
しかし、それでも秋元氏は前田をセンターに抜てきした。後に選抜総選挙でその人気を実証することになるのだから秋元氏の先見の明と言える。
「秋元さんは前田が最もセンターっぽくないからセンターにしたのだろう。大島優子の魅力は分かりやすいが、前田はみんなが謎だと思う。握手会でも“あっちゃんは省エネ”と言われるが、それでも人気がある。イヌとネコに例えるならばネコのような存在で、だから人の興味を引く」
あれほど前面に立つのを拒絶した前田が今年はシングル「Flower」でソロデビューした。劇場の発展、AKB48の躍進とともに前田自身が成長したことの証だ。
「前田は子供から大人になった。震災後は被災地を回り、自分の姿を見ると泣きながら喜んでくれる人たちがいることも知った。芸能人としてのあり方を考えるようになり、成長してきている。まだ進化するだろう」
引用元:スポニチアネックス
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